足切断の悲劇。今なら大事件?
18・9歳の頃、田舎の大病院から東京に憧れ
叔母の紹介で個人病院に就職しました。
その個人病院の院長は内科。
私は外科で、週6日勤務していました。
当時は週6の時代です。
ある日、救急搬送されて来た、バーのママさん。
とても美しい方でした。
トラックに接触し、右膝から下ざっくり切れていました。
外科の先生、傷が奇麗だったので
15.6針 縫合して、入院。
だけど・・・2・3日した頃から
縫合した場所が黒く変色してきた。
そのまま処置のみで10日位したころ
黒い部分が広がっていた。
週1回、大学からくる准教授が診察。
すると、傷をみて准教授、
「はっ!」と息を飲んだ。
そして小声で
「これは、ここでは、治療できない・・・・」
それから、患者さんから離れて
外科の先生に大声で
「君、あれじゃダメだよ!」
すぐ自分の大学病院へ転送し
足の切断を宣告。
その時はよく分からなかったのですが
他の病院に移って同じような傷の患者さんに
前と違う縫合の仕方をしていたのをみて、不思議に思った。
きっちり、縫うのではなく
軽く何箇所かを寄せるように縫合したのみ。
同じような損傷でも
その方は切断せずにすんでました。
私は、前の経験を先生に話しました。
そうしたら先生、
「奇麗な傷でも打撲している場所は
筋肉も損傷しているので
きつく縫ってはいけないんだよ。」
その話を聞いて、すべて納得したんです!
前の先生の処置はミスだったと!!
そして、あのとき聞いた
「君、これじゃあ、ダメだよ」とか
内々で先生方が話していたことを思い出し
あれは、処置の仕方がダメだってことだったんだ!
と気がついた・・・
今、思い出すと個人病院に雇われている外科の先生。
とても優しい先生でした。
優しいだけで、技術はなかった・・・
約50年前、情報があまりにもなかった。
恥ずかしながら、看護婦もです。
今、看護婦になるのは大変です。
試験も難しい。
当時のこと、思い出すと寒気がします。
ママさん、運が悪かったのでしょうか?
今だったら、大変なことになっていたでしょう・・・・
(准教授と書きましたが、当時は助教授)
叔母の紹介で個人病院に就職しました。
その個人病院の院長は内科。
私は外科で、週6日勤務していました。
当時は週6の時代です。
ある日、救急搬送されて来た、バーのママさん。
とても美しい方でした。
トラックに接触し、右膝から下ざっくり切れていました。
外科の先生、傷が奇麗だったので
15.6針 縫合して、入院。
だけど・・・2・3日した頃から
縫合した場所が黒く変色してきた。
そのまま処置のみで10日位したころ
黒い部分が広がっていた。
週1回、大学からくる准教授が診察。
すると、傷をみて准教授、
「はっ!」と息を飲んだ。
そして小声で
「これは、ここでは、治療できない・・・・」
それから、患者さんから離れて
外科の先生に大声で
「君、あれじゃダメだよ!」
すぐ自分の大学病院へ転送し
足の切断を宣告。
その時はよく分からなかったのですが
他の病院に移って同じような傷の患者さんに
前と違う縫合の仕方をしていたのをみて、不思議に思った。
きっちり、縫うのではなく
軽く何箇所かを寄せるように縫合したのみ。
同じような損傷でも
その方は切断せずにすんでました。
私は、前の経験を先生に話しました。
そうしたら先生、
「奇麗な傷でも打撲している場所は
筋肉も損傷しているので
きつく縫ってはいけないんだよ。」
その話を聞いて、すべて納得したんです!
前の先生の処置はミスだったと!!
そして、あのとき聞いた
「君、これじゃあ、ダメだよ」とか
内々で先生方が話していたことを思い出し
あれは、処置の仕方がダメだってことだったんだ!
と気がついた・・・
今、思い出すと個人病院に雇われている外科の先生。
とても優しい先生でした。
優しいだけで、技術はなかった・・・
約50年前、情報があまりにもなかった。
恥ずかしながら、看護婦もです。
今、看護婦になるのは大変です。
試験も難しい。
当時のこと、思い出すと寒気がします。
ママさん、運が悪かったのでしょうか?
今だったら、大変なことになっていたでしょう・・・・
(准教授と書きましたが、当時は助教授)